柳の腕

私は彼が恐かった。
近寄られると歯の根が合わないほど怯えた。
職場だったし、彼は紳士だったしこれは妙な現象だ。
今にして思えば、わたしの恐怖の正体は単純だ。
三人称単数で生きてきた、人生の傍観者たる私を、彼なら簡単に暴いてしまうだろう。

それに見た目より私は存外につまらない。
でも、彼はどうやら私にあのお決まりの幻想を抱いてくれている様子。
競争だって始まったし。
この調子でうまくやれば、めでたく彼とゴールインだ。
異性が私に抱く幻想とは、ざっとこんなもの。
素直で従順で優しくて、思いやり深くって良妻賢母、間違いなし。
美人すぎない清楚さも、グッド。
温かい家庭を築き、空気のような穏やかな存在になり、自分より早く死ぬ夫を手厚く看取る。
若さは褪せ、容姿も衰え、でも親切と優しさを無料配布する品のいい人生。
これぞ日本女子の統計上の最頻値。
ですが私は言いたい。
これが虚無でなくって何が虚無なんです?。
でも、その反面私は心の底から彼に愛されたかった。
ふたりきりになって、彼の首に柳のように絡まり顔を埋め蟻一匹通れないほど固く強く彼の肩にしがみつくのだ。
文脈だけで行為者を現してしまう、主語抜きの日本語でもって、私は彼に強引に愛されたかった。
これまでの辛く過酷な生育や、満たされなかった甘えや不安一切合切を受け止めて欲しかった。
それができる男性って実は滅多にいない。
多くの男性が、最初は、か弱く愛しい存在を庇護する役割に恍惚となるだろう。
でも断言してもいい。
それは決して長続きはしない。
土台無理だから。
それに途方もないその先の辿り着く果ては?。
日本女子の統計の最頻値、英語の主語 “I” では、目指す値打ちゼロ。
ならばこの頑丈な自分でぶっちぎった方が賢明だ。
賢明なはずだった。

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