モグラ

いつからだろう?自分を三人称でしか捉えられなくなっていたのは。
私の家庭は典型的なDV、つまり酒乱の父が暴れる機能不全の家庭。そして私は典型的なAD、アダルトチルドレン。
のびのびと幼心を家庭で育めないどころか、親子の役割すら逆転して育った。

そんな成育歴。
そこで、自分の状況を一般化する習性が身に着いた。
酷いけど、悲惨だけどこれはほんの一例。

統計の中では、我が家は1。
家族が機能するため、いい子像を演じるのが日常となり、仮面はいつしか皮膚と溶け合う。
喪失の毎日だから、諦めはお家芸。

その私がどうだろう。
彼だけはどうしても諦らめきれない。
彼はほぼ毎晩夢に現れた。

ところが寸でのところでいつも彼は去ってしまう。
言いようのない悔しさが残り、目が覚め、朝が来る。
なんで?どうすればいい?何度も繰り返し自問自答し、ようやく解明できた。

私は彼が好きだったのだ。
この場合、私が、がポイントだ。
三人称の私でなく、初めて一人称で好きになった人が彼だったのだ。

彼の前、淡い初恋もあったけれど、思えば恋に恋してという類の少女マンガチックなものだった。
けれど、彼は私にとって紛れもなく初めて現れた男性だった。
私は彼といるのと、恥ずかしさが体の芯からこみあげた。

彼には男性らしい意思の強さが見て取れ、とても頼もしかった。
そしてその異性としての性は限りなく健やかで、わたしには新鮮で眩しすぎた。
ひきかえ私はどうだろう?。

喩えれば、穴ぐらに棲むモグラが、よく晴れた春の陽だまりに、ひょっこりと顔を出してみた。
すると目の前の地上には、満開の桜の木の下、朱色の宴席が設けられている。
花冷えの風が吹き、白ピンクの花びらは舞い散り、繻子や綸子の凝った振袖を纏った一群の娘たちが嬌声をあげている。

誇張しすぎだとは分かっている。
でも私の心象風景としては、そんな感じ。
そこでの私は誰?モグラよ、モグラ。
人間ですらないってこと。

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